期外収縮、心房細動、洞性徐脈…
不整脈の不安が消えた
東京都世田谷区 髙橋雅子さん 65歳(取材時)
■心臓が苦しくなり、過呼吸で救急車に
「ひどい時は点滴をしてもダメで、『電気ショック』の話が出たこともありました。手も足も冷たくなってしびれてくるし、不整脈の恐怖感は本人じゃないとわからないと思いますね」
もともと行動的で、健康には自信があった髙橋雅子さん。ご主人の転勤でカナダに行った時は0歳、3歳、5歳だった3人の男の子を育てながら、忙しい毎日を送っていました。それでも当時は、車で学校に送って夕方迎えに行くまでの間に、ゴルフをしたり趣味を楽しむ時間も作っていました。帰国してからは息子さんたちの学校の役員を平等に引き受けて、3校掛け持ちしていたことも。子育て、家事、趣味と元気にこなしていました。
50歳代に入ると時々めまいがしたり、1年に1度の割合で突然心臓が苦しくなり、過呼吸を起こし、何回か救急車にも乗りました。そして、だんだん心臓に不安が出てきました。
■不整脈の発作が慢性化していく恐怖
「子供のころから時々ポコって脈が飛ぶ自覚はありましたが、不整脈の症状で心臓に不安を抱えるようになってからは、私の父が42歳の厄年に心臓発作を起こし、その後、脳卒中で亡くなっていることもあって、とても怖かったです」
3人の息子さんたちの受験、2008年にはご主人のお父様、雅子さんのお母様を見送り、その後、長く介護をしていた目が見えなくて椎間板が悪かった愛犬を看取るなど、自分の時間が取れないほど忙しい日々を送っていました。そして50歳を過ぎたころから気になっていた体調も、だんだんと悪くなっていきました。
期外収縮の発作が増えている自覚があった雅子さん。24時間ホルターを付けて検査をしても、「これくらいなら心配いらない」と言われるばかり。やがて突発性の心房細動の発作が起こるようになり、だんだんと慢性に移行していくのではないかと不安でしかたありませんでした。
■カテーテルアブレーションも考えたけれど
出かけるのは住まいのある私鉄の沿線だけ。電車もいつでも降りられるように各駅停車にしか乗りません。どうしても行きたい音楽会なども席は会場の出口近くを選んでいました。
「渋谷の家電屋で発作が起きて救急車で運ばれたり、地下鉄の表参道駅で発作を起こして駅員室で休ませてもらった時も、終電を過ぎても発作がおさまらなくて、そのまま病院へ行ったこともありました。年に一回、家族で出かける箱根旅行以外は、どこにも行かなくなってしまいました」
サンリズムという薬を処方され飲み続けて半年経った頃、副作用からか心房粗動の発作も起きてしまいました。もともと洞性徐脈でもあるので、使う薬は難しいとのこと。薬に頼らず何とかならないかと、カテーテルアブレーションも考えましたが、リスクも大きいし、1回で不整脈が消えるとは限りません。
■出会った卵油で発作の回数が激減
そんな時、インターネットで見つけたのが卵油でした。高価なものなので、とりあえず10粒のサンプルを送ってもらって試してみました。すると3日目に、これは良さそうかもしれないという感覚があったので、しばらく続けようと取り寄せて飲み始めたのが2013年のことです。
「卵油を飲み続けていると、期外収縮の回数が劇的に減って、時々心房細動はあるものの、前ほど苦しくありません。発作の時はいつもより卵油を多めに飲んで、サンリズムを頓服で飲めば2時間でスーッと治まります。病院へ駆け込むこともなくなりました」
医者も「高橋さんの場合に限っては、卵油を飲みつつ、発作時のみサンリズムを使って、うまく不整脈とつき合っていく選択肢もある」と言われました。
体調がとても良くなってきた雅子さんは、昔から好きだった和太鼓やデッサンを再開しました。
■前向きな気持ちで好きなことができる幸せ
「伊勢に行きたい」という83歳になる叔母さんと、ご主人と3人で一緒に無事に旅行できたこと。その後、京都の友人が「発作がおきたら面倒見てあげるから」と言ってくれたので、卵油とサンリズムを持って、思い切って2泊3日の京都旅行へ出かけられたこと。この2つが自信を取り戻す大きなきっかけになりました。
2015年9月には、京都の東寺で行われた「中秋の名月鑑賞の夕べ」に、太鼓のクラスから1人で演奏に参加。早朝に出かけて深夜に帰ってくる強行スケジュールも不安なくこなせました。
「やる気がすごく湧いてきて、あこがれだった先生について日本画を習い始めました。ハードな大太鼓にも挑戦しています。普通の日常生活が送れることと、好きなことができる幸せに感謝しています」
※お客様個人の感想であり、効果効能ではありません。